私は妻と子と一緒に、東京ミッドタウン(六本木)の「サントリー美術館」に足を運びました。
「若冲と蕪村 〜生誕三百年 同い年の天才絵師」という企画展です。

美術に詳しい方は、傑作の展示が少ないことを分かっています。
春休みの日曜日の昼下がりにもかかわらず、会場は混雑していません。
マイナーなテーマです。

それはそれで興味深いものです。
私はいくつかの作品について、おもに建築家志望の子(4月から高校3年生)に率直な感想を伝えました。
むろん、周りに配慮して小声で話しています。
しかし、辛辣な評価が隣の方に聞こえたようで、睨まれてしまいました。

伊藤若冲であろうが、与謝蕪村であろうが、ダメなものはダメです。
二人の企画展は駄作が多数含まれています。

有名人は気の毒です。
私は同情します。
主催者などが発見と称し、作品でなく下絵、それどころか習作まで展示してしまいます。
作者が生前、それを望んでいたとはとても思えません。
作品としての価値と資料としての価値は別物ですが、それが混在して展示されていることを理解したうえで眺めるべきです。

私は伊藤若冲が大好きです。
例えば、若冲の習作は、手前の木の枝が後ろの白い鳥にのめり込んでいました。
明らかにおかしいですが、この時点で「構図」に対する並々ならぬ志向が表れています。

私は与謝蕪村を「天才絵師」と呼ぶことに違和感を覚えます。
俳諧が本職です。
例えば、題名のなかの「虎」の一文字を「猫」に変えてくれれば、皆がすんなりと受け入れられます。
また、風景画は緻密に描き込むほど「造園画」になってしまいます。
蕪村は人、少なくとも鳥などの生き物がいないと作品になりません。
犬の絵などほとんど「イヌモン(?)」のルーツで、何という愛嬌でしょう。
そもそも蕪村の作品は接したとき、先に作者の人間性が感じられます。
これがいいか悪いかは、私は判断ができません。

「若冲と蕪村」の企画展。
私がさすが(傑作)とうなったのは、若冲が2点、蕪村が1点。
若冲では、全体が梅(?)の枝で構成された緊密な作品、大根を中心とした野菜のおおらかでダイナミックな作品。
蕪村では、大根の隣(?)に展示された鳥の作品(チケットの烏と一対と思われますが、こちらでなく鳥のほう。胸騒ぎを覚えました)。
いい作品と感じたのは、それぞれ数点。
作者と作品を知る手がかり(資料)としてほほえましく思えたのは、それぞれ数点。

この企画展はにこにこしながら観ないと、作者に失礼です。
「葬式展」じゃあるまいし、会場の空気が暗すぎます(笑っているのは欧米人でした)。
受付ももっとフランクであるべきです(マニュアルなどお捨てなさい。それとも派遣でしょうか)。
ジーンズとTシャツで十分。
人種のるつぼポンギ(←六本木の知ったかぶり)ですから、私たちに「ハーイ」と言ってほしかった。
初心者や家族連れが楽しめるよう、愛好家のすそ野が広がるよう・・・。

私を含め、家族は堪能しました。
企画に感謝します。

なお、伊藤若冲の鶏の絵などにしか興味を見出せない方は、画集のほうが断然いいです。

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