私は忙しさに流されやすい。
片づけなければならないことがいっぱいあるというのは満更でもない。
貧乏性なので暇だと寂しいのだ。
が、自分で決めたことをなかなかやり遂げられない。
例えば、本を書こうと思いながら十年以上が経ってしまった。
私の最新刊は2001年3月発行の『提案営業成功の極意』。
しかし、これは月刊誌で1998年2月から1999年1月まで連載した原稿を単行本にしたものだ。
忙しいの「忙」は、心が滅ぶと書く。
漢字はうまくできている。
私は意志が弱く、周りから急き立てられたり追い詰められたりしないと、なかなか本気になれない。
今年に入り、私が「営業学」を指導するSBI大学院大学(MBA)から要請を受け、本の原稿を書くことになった。
ただし、教員12名による共著。
夏に東洋経済新報社から刊行される。
こうした機会を与えられなかったら、私は永久に本を出せなかったのでないか。
しかも、テーマは初となる「起業」。
このブログの記事を再編集するだけなのに、思うように時間を取れず、かつ頭の整理が難しく、原稿が大幅に遅れている。
恐らく私一人。
締め切りは5月6日だった。
同校の事務局から進捗の厳しいチェックが入っている。
私は、鬼みたいな形相で尻を叩いてくれる人が好きだ。
お陰で原稿のゴールがぼんやりと見えてきた。
書店に並んだ本を手に取れば、じわっと感慨が湧いてきそう。
7月中旬?
となると、59歳の誕生日の前後。
自分へのバースデープレゼント。
それを楽しみに原稿に精を出している。
ところで、私は一昨日のブログから、職業人の学び方、仕事に関わる読書などについて述べている。
厳密なシリーズでないが、一連の記事である。
きょうは第3回。
⇒第1回/2010年5月10日「因果関係の追究…職能強化の基本」はこちら。
⇒第2回/2010年5月11日「著者と出版社のカモ…ご愁傷さま」はこちら。
以下に、「本は読み終えてからが勝負となる」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年6月号の巻頭言2である。
思い切って手を加え、新たな原稿とした。
◇◆◇
会社経営者、NPO法人理事長、講師、コンサルタントを兼ねる私は、人と接する機会がきわめて多い。
とりわけ公開セミナーでは休憩時間などに参加者から話しかけられる。
そのなかで感じる疑問の一つは、「本をたくさん読んでいながら、どうしてこの程度なのだろう」である。
本を読むと言うからには、学ぶ意欲はあるはずだ。
それでもたいしたことがないとしたら、本との接し方が間違っているとしか思えない。
1冊を読んで百冊分も学べる人がいる。
かたや、百冊を読んで1冊分も学べない人がいる。
両者の決定的な差はどこでつくのか。
それは「考える」要素をどれくらい大切にしているかだだろう。
当然だが、本は“読後勝負”である。
なぜなら、売れない本でも千人や2千人は読んでいる。
したがって、読むこと自体にたいした優位性はない。
本のテーマや内容についてどれくらい掘り下げて考えられるかが、身につくかどうかの分かれ道となる。
めったに本を読まない私に、絶対というこだわりがある。
それは本に関わる時間配分だ。
「読む」に1を要したら、「考える」に10をかけている。そして、その後に「行う」に 100を費やすように努めている。
私が数年間で読んだ本は1冊にすぎない。
「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書である。
読後の「考える」そして「行う」に、先に述べた配分よりはるかに大きな時間を割いた。
気が遠くなるくらいだ。
その結果が、IPOを目指して設立されたベンチャーへの参画だった(結局、私の出番が回って来る前に会社が消滅した)。
もう一つは、私とIT企業が協力して立ち上げる営業支援ベンチャーの準備である。
私は他人の本を1冊読めば、例えば自分の本を1冊出すとか自分の会社を1社つくるとかする。
知ったのでなく学んだという以上は、それをかならず何らかのカタチで表現するように戒めている。
座右の銘は「一冊一行(いっさついっこう)」。
仕事に関わる読書の約束事である。
なぜなら、「行う」には「考える」しかない。
行動は成功や失敗といった成果に直結するため、頭を使う度合いが読書と桁違い。
例えば、他人の起業本を読んで自分の起業に挑もうとすれば猛烈に考える。
ときに死に物狂いで…。
結局、「本をどれくらい読んだか」でなく「本でどれくらい考えたか」により、読書を通じた学びの成果が決定づけられる。
前者では本が目的となっているのに対し、後者では本が手段となっている。
「月とすっぽん」とはこのこと。
本は読んだらお仕舞いだ。
本は、私たちが考え、そして行うための素材やきっかけを提供してくれるにすぎない。
行動を前提とした読書は学びが大きい。
加えて、行動を通じて学びが得られる。
「行動読書」はいいこと尽くめ。
ならば、それなりに豊かで幸せな職業人生を謳歌できるのでなかろうか。
私はまもなく起業本を出す。
数年前に読んだ「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書を今日まで引きずっていたことになる。
読むに要した時間の数百倍は考えるにかけたご褒美だ。
この間、他人の知識が自分の気づきに変わった。
ゆえに、自分の著作。
なお、「自己投資」という都合のいい言葉がある。
読書は出費にすぎず、投資と呼べない。
行動に変換しないかぎり元手を回収できない。
世の中、学んだ気分に浸りたくて本を読む人が少なくない。
知るを学ぶという欺瞞。
が、本を読めば、本に飲まれる。
正しい読書法とは「読後法」である。
つまり、読書法でなく読後法が自己実現の決め手となる。
◇◆◇
なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。
⇒2007年5月30日「本は読み終えてからが勝負となる」はこちら。
Copyright (c)2010 by Sou Wada
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片づけなければならないことがいっぱいあるというのは満更でもない。
貧乏性なので暇だと寂しいのだ。
が、自分で決めたことをなかなかやり遂げられない。
例えば、本を書こうと思いながら十年以上が経ってしまった。
私の最新刊は2001年3月発行の『提案営業成功の極意』。
しかし、これは月刊誌で1998年2月から1999年1月まで連載した原稿を単行本にしたものだ。
忙しいの「忙」は、心が滅ぶと書く。
漢字はうまくできている。
私は意志が弱く、周りから急き立てられたり追い詰められたりしないと、なかなか本気になれない。
今年に入り、私が「営業学」を指導するSBI大学院大学(MBA)から要請を受け、本の原稿を書くことになった。
ただし、教員12名による共著。
夏に東洋経済新報社から刊行される。
こうした機会を与えられなかったら、私は永久に本を出せなかったのでないか。
しかも、テーマは初となる「起業」。
このブログの記事を再編集するだけなのに、思うように時間を取れず、かつ頭の整理が難しく、原稿が大幅に遅れている。
恐らく私一人。
締め切りは5月6日だった。
同校の事務局から進捗の厳しいチェックが入っている。
私は、鬼みたいな形相で尻を叩いてくれる人が好きだ。
お陰で原稿のゴールがぼんやりと見えてきた。
書店に並んだ本を手に取れば、じわっと感慨が湧いてきそう。
7月中旬?
となると、59歳の誕生日の前後。
自分へのバースデープレゼント。
それを楽しみに原稿に精を出している。
ところで、私は一昨日のブログから、職業人の学び方、仕事に関わる読書などについて述べている。
厳密なシリーズでないが、一連の記事である。
きょうは第3回。
⇒第1回/2010年5月10日「因果関係の追究…職能強化の基本」はこちら。
⇒第2回/2010年5月11日「著者と出版社のカモ…ご愁傷さま」はこちら。
以下に、「本は読み終えてからが勝負となる」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年6月号の巻頭言2である。
思い切って手を加え、新たな原稿とした。
◇◆◇
会社経営者、NPO法人理事長、講師、コンサルタントを兼ねる私は、人と接する機会がきわめて多い。
とりわけ公開セミナーでは休憩時間などに参加者から話しかけられる。
そのなかで感じる疑問の一つは、「本をたくさん読んでいながら、どうしてこの程度なのだろう」である。
本を読むと言うからには、学ぶ意欲はあるはずだ。
それでもたいしたことがないとしたら、本との接し方が間違っているとしか思えない。
1冊を読んで百冊分も学べる人がいる。
かたや、百冊を読んで1冊分も学べない人がいる。
両者の決定的な差はどこでつくのか。
それは「考える」要素をどれくらい大切にしているかだだろう。
当然だが、本は“読後勝負”である。
なぜなら、売れない本でも千人や2千人は読んでいる。
したがって、読むこと自体にたいした優位性はない。
本のテーマや内容についてどれくらい掘り下げて考えられるかが、身につくかどうかの分かれ道となる。
めったに本を読まない私に、絶対というこだわりがある。
それは本に関わる時間配分だ。
「読む」に1を要したら、「考える」に10をかけている。そして、その後に「行う」に 100を費やすように努めている。
私が数年間で読んだ本は1冊にすぎない。
「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書である。
読後の「考える」そして「行う」に、先に述べた配分よりはるかに大きな時間を割いた。
気が遠くなるくらいだ。
その結果が、IPOを目指して設立されたベンチャーへの参画だった(結局、私の出番が回って来る前に会社が消滅した)。
もう一つは、私とIT企業が協力して立ち上げる営業支援ベンチャーの準備である。
私は他人の本を1冊読めば、例えば自分の本を1冊出すとか自分の会社を1社つくるとかする。
知ったのでなく学んだという以上は、それをかならず何らかのカタチで表現するように戒めている。
座右の銘は「一冊一行(いっさついっこう)」。
仕事に関わる読書の約束事である。
なぜなら、「行う」には「考える」しかない。
行動は成功や失敗といった成果に直結するため、頭を使う度合いが読書と桁違い。
例えば、他人の起業本を読んで自分の起業に挑もうとすれば猛烈に考える。
ときに死に物狂いで…。
結局、「本をどれくらい読んだか」でなく「本でどれくらい考えたか」により、読書を通じた学びの成果が決定づけられる。
前者では本が目的となっているのに対し、後者では本が手段となっている。
「月とすっぽん」とはこのこと。
本は読んだらお仕舞いだ。
本は、私たちが考え、そして行うための素材やきっかけを提供してくれるにすぎない。
行動を前提とした読書は学びが大きい。
加えて、行動を通じて学びが得られる。
「行動読書」はいいこと尽くめ。
ならば、それなりに豊かで幸せな職業人生を謳歌できるのでなかろうか。
私はまもなく起業本を出す。
数年前に読んだ「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書を今日まで引きずっていたことになる。
読むに要した時間の数百倍は考えるにかけたご褒美だ。
この間、他人の知識が自分の気づきに変わった。
ゆえに、自分の著作。
なお、「自己投資」という都合のいい言葉がある。
読書は出費にすぎず、投資と呼べない。
行動に変換しないかぎり元手を回収できない。
世の中、学んだ気分に浸りたくて本を読む人が少なくない。
知るを学ぶという欺瞞。
が、本を読めば、本に飲まれる。
正しい読書法とは「読後法」である。
つまり、読書法でなく読後法が自己実現の決め手となる。
◇◆◇
なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。
⇒2007年5月30日「本は読み終えてからが勝負となる」はこちら。
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