きのうのブログ、「父は認知症入所棟へ…特養老人ホーム都筑の里」に続いて・・・。

⇒2013年9月18日「父は認知症入所棟へ…特養老人ホーム都筑の里」はこちら。

私は、浄土真宗の寺と葬儀場を兼ねた建物の地下1階につくられたロッカー式納骨堂の墓を持っています。
通常の墓と同様、家族が代々、遺骨を納められます。
ロッカー式と記しましたが、正確には佛壇形式の家族墓所です。
上部は仏壇になり、下部は骨壺が6つ入ります。
この寺は、後継者が絶えても「無縁墓」として合葬しない方針を打ち出しています。

私は、バブル崩壊後しばらくして前妻が亡くなったときに買い求めました。
おそらく3百万円は支払いました。
こうしたことに疎く、しかも切羽詰まっていましたので、言われるままに契約を交わしました。
東京の一等地、なかなか見事なつくりとはいえ、値段が高すぎます。
いまなら百万円もしないでしょう。

先週、父が亡くなり、戒名をつけることになりました。
この戒名は宗派によりいくらか異なりますが、「位」が設けられています。
「浄土真宗」には位が2つしかありません。
先に亡くなった母が「大姉」でした。
そこで、釣り合いが取れるよう、父は「居士」にしました。
ちなみに、亡くなった前妻(先妻)も「大姉」でした。
戒名についても、先方に勧められるままに位を決めました。
私が両親の葬儀を経験する前に、前妻は3人の子どもを残して先立ちましたので、何も考える余裕がありませんでした。
相場は年々下がっているようですが、読経料込みでお布施は結構な金額になります。

さて、寺が戒名をつけるに当たり、「人となりを一言でいえば…」と尋ねてきました。
ところが、私は情けないことに簡潔な言葉で括れず、返事に詰まってしまいました。
このとき、父はわりとつかみどころがないと思いました。

だれから聞かされたかは忘れましたが、父は戦時中に軍隊で「堅パン」と呼ばれていました。
「尊敬半分、揶揄半分」というより、からかいの比重が大きいのかもしれません。
「憲作」という名前の「憲」が父の生き方を決めたようです。
「堅パン」は、融通がまったく利かないということでしょう。
実際、父は曲がったこと、間違ったことが大嫌いでした。
嘘偽りのない人生を歩みました。

また、父は淡々としていました。
自分の気持ちや感情を表にほとんど出しませんでした。

父はとても子煩悩でもありました。
母もそうでした。

父も母も兄弟が多く、長男と長女として大切にされたせいか、エリート意識を持っていました。
母もいくらかそうでした。
両親は「(お)にいさん」「(お)ねえさん」と周りから呼ばれていましたので…。
昔は長男と長女を立てるのが当たり前だったのかもしれません。
以上。
父の人となりの説明になったかどうか・・・。

両親は、私が横浜・港北ニュータウンに呼び寄せるまで、富山県滑川市常光寺天望町で暮らしました。
かつての実家に住む妹にこの話をしたとき、「一言でいえば、おだやかだった」と返され、意外でした。
男の私と女の妹では、父の印象がだいぶ違うのです。

私は直江津小学校時代まで、ときどき父から注意を受けました。
父がほんとうに厳しく叱ったのは一回です。
まさに激昂でした。
私が、隣(裏)の家の2階に引っ越してきて間もない小さな子を連れ出し、帰りが真っ暗になったときでした。
二人は気が合い、私は自分の一番好きな直江津から郷津にかけての砂浜をずっと歩き、戻るのが遅くなったのです。
(母は何かにつけ、買い物や掃除などの家事を命じました。)

しかし、父はそのほかは好きにさせてくれました。
母も同じでした。
子育ては、基本のしつけを押さえつつ、放任状態でした。
うるさいことはまったく口にしませんでした。
私が根っからの自由人なのも、これと無関係でないでしょう。

妹が迷うことなく口にした「おだやか」という表現はそれなりに的を射ている気がしてきました・・・。

⇒2013年9月16日「父の訃報にほっとする・・・大往生」はこちら。

⇒2013年9月17日「火葬炉の父の名前『憲作』に気づく」はこちら。

⇒2013年9月18日「父は認知症入所棟へ…特養老人ホーム都筑の里」はこちら。

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