Huluの動画配信サービスで「ALWAYS 三丁目の夕日」の3作品を立て続けに観た。
パソコンモニターの片隅に小さな画面で流しているだけなので、内容はろくに分からない。
が、おそらくこの映画はよくできている。
とくに最初の作品・・・。
第一作は昭和33年、第二作は昭和34年、第三作は昭和39年を描いている。
日本が戦後の高度成長を遂げていた時期である。
昭和33年といえば、昭和26年生まれの私が小学校1年生に当たる。
映画は東京の下町(とっても、建設中の東京タワーが間近に見える場所)が舞台である。
私は新潟の直江津生まれであり、地方は近代化が1〜2年遅れていたのでなかろうか。
この映画における家電製品の普及状況からそう思った。
私が「ALWAYS 三丁目の夕日」でもっともうれしかったのは、当時の世相に触れられたことである。
光景も風物もかすかな記憶として残っていたようで、懐かしさが込みあげてきた。
庶民の暮らし振りも伝わってきた。
そう、そう、このとおり。
そんなシーンがこの映画にはふんだんにちりばめられている。
昭和33年は敗戦から13年が経っていたが生活は貧しく大変だった。
それを救ったのが人情の温かさだった。
もう一つ。
当時はまだ身寄りのない子どもが大勢いたことを知った。
実は、私は33歳頃、都心の駅前(国電)で商売を営んでいる方から全財産を譲ると告げられた。
戦災孤児(戦争孤児)らしい。
おそらく戦後のどさくさをたくましく生き抜き、かなりの資産をつくった。
詳しい事情を尋ねるわけにいかなかった。
本気はそのときも感じたが、この映画を観て、改めて本気だったと思った。
命がけで手に入れたすべてをだれかに渡したいという心中を、未熟な私は酌むことができなかった。
身寄りのないこの方にとり自分が生きた唯一の証だった。
厚意に甘え、財産を受け取れば、きっと喜んでくれただろう。
とても申し訳なく、いまだに悔いを引きずっている。
Copyright (c)2015 by Sou Wada
パソコンモニターの片隅に小さな画面で流しているだけなので、内容はろくに分からない。
が、おそらくこの映画はよくできている。
とくに最初の作品・・・。
第一作は昭和33年、第二作は昭和34年、第三作は昭和39年を描いている。
日本が戦後の高度成長を遂げていた時期である。
昭和33年といえば、昭和26年生まれの私が小学校1年生に当たる。
映画は東京の下町(とっても、建設中の東京タワーが間近に見える場所)が舞台である。
私は新潟の直江津生まれであり、地方は近代化が1〜2年遅れていたのでなかろうか。
この映画における家電製品の普及状況からそう思った。
私が「ALWAYS 三丁目の夕日」でもっともうれしかったのは、当時の世相に触れられたことである。
光景も風物もかすかな記憶として残っていたようで、懐かしさが込みあげてきた。
庶民の暮らし振りも伝わってきた。
そう、そう、このとおり。
そんなシーンがこの映画にはふんだんにちりばめられている。
昭和33年は敗戦から13年が経っていたが生活は貧しく大変だった。
それを救ったのが人情の温かさだった。
もう一つ。
当時はまだ身寄りのない子どもが大勢いたことを知った。
実は、私は33歳頃、都心の駅前(国電)で商売を営んでいる方から全財産を譲ると告げられた。
戦災孤児(戦争孤児)らしい。
おそらく戦後のどさくさをたくましく生き抜き、かなりの資産をつくった。
詳しい事情を尋ねるわけにいかなかった。
本気はそのときも感じたが、この映画を観て、改めて本気だったと思った。
命がけで手に入れたすべてをだれかに渡したいという心中を、未熟な私は酌むことができなかった。
身寄りのないこの方にとり自分が生きた唯一の証だった。
厚意に甘え、財産を受け取れば、きっと喜んでくれただろう。
とても申し訳なく、いまだに悔いを引きずっている。
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