コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

須藤紘子

おひさま陽子…伊那中・西駒登山、直小・妙高登山

20070411-02NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」。
土曜日から井上真央がヒロイン・須藤陽子を演じている。
子役経験が豊富であり、若くても実力派なのだろう。

先週金曜日の放送で、陽子の母が亡くなった。
原田知世が心臓病に苦しむ紘子を切なく演じた。
須藤家が東京から空気の澄んだ安曇野に引っ越してきた理由が、最後のときを1日でも長くという父の考えだった。
あるいは、母の思いだったのかもしれない。

こうした事情を知らされたのは長男だけだった。
が、この頃には次男も、そして陽子も母の命が長くないことを察していた。
目に見えて病状が悪化していったからだ。

母は最後の日が近いと悟り、長男と次男を別々に呼び寄せた。
そして、力を振り絞って言葉をかけた。
どうしても言い残しておきたかったのだ。
二人の男の子はそれをしっかりと胸に刻んだ。

陽子は、母の病状が切迫し、小学校の登山をためらった。
それを母は送り出した。
太陽を近くで見てらっしゃいと・・・。
陽子はご来光に母の死を感じた。

私は思った。
当人に告知を行えば、親子で、夫婦で、最後の言葉を交わす時間を持つことができた。
相手が認めないかぎり、当人はそうした前提で話せない。
前の妻が亡くなってから長い歳月が流れたが、私はいまだに引きずっている。

                       ◇

「ひまわり」の陽子の登山を見て、記憶がよみがえった。
戦後長らく、義務教育では「登山」が重んじられていた。

私は直江津小学校の5年生(曖昧)で「妙高山」に登った。
校歌は、「ながめとうとき 妙高山の まどにうつれる姿をあおぎ・・・」で始まる。
妙高山は標高2454メートル。
あいにく天候が思わしくなく、希望者だけが山頂まで登った。
私も…。
卒業文集にはその思い出を綴ったはずだ。
ところが、卒業証書や卒業アルバムの類は手元に残っていない。
引っ越しの連続で、私は半生の記録をすべて紛失してしまった。

伊那中学校の2年生(曖昧)で「西駒ケ岳」に登った。
校歌は、「山脈(やまなみ)は 青くめぐりて・・・」で始まる。
険しくてきつかったし、怖かった。
伊那谷は2つの駒ヶ岳に挟まれ、西側の木曽駒ヶ岳を「西駒ヶ岳(西駒)」、東側の甲斐駒ヶ岳を「東駒ヶ岳(東駒)」と呼んだ。
西駒ケ岳は標高2956m。
3千メートル級といってよい。
木曽山脈(中央アルプス)の最高峰だ。

ウィキペディアによれば、1913年(大正2年)、長野県中箕輪高等小学校(現在の長野県上伊那郡箕輪町立箕輪中学校)の集団登山において、将棊頭山付近で遭難事故が発生し、校長と生徒10人が死亡した。
現在の上伊那地区の中学校では、当時の教師たちの遺志を尊重し、また慰霊の意味も込めて、学校行事として集団登山を行っている。
私は登山前のオリエンテーションでこの話を先生から聞かされたことを覚えている。
いまなお伊那中学校では西駒登山を行っているのだろうか。

1967年(昭和42年)、駒ヶ岳ロープウェイ開通にともない、終点の千畳敷や木曽駒ヶ岳に多くの人が訪れるようになった。
登山はずいぶん楽になったのでないか・・・。

「おひさま」で子どもたちが歌う県歌「信濃の国」を久しぶりに聞き、懐かしくなった。
明治時代の作詞・作曲。
私もずいぶん歌った。

                      ◇◆◇

朝ドラ「おひさま」とヒロイン陽子役・井上真央などの出演者に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年4月4日「井上真央・おひさま、日本を明るく照らす」はこちら。

⇒2011年4月5日「おひさまの舞台、安曇野の自然の美しさ」はこちら。

⇒2011年4月7日「八木優希のおかっぱ頭…おひさま陽子の子役」はこちら。

⇒2011年4月8日「瀧本美織がおひさまヒロインを演じたら・・・」はこちら。

⇒2011年4月8日「瀧本美織てっぱん続編は3年後に本放送か」はこちら。

⇒2011年4月9日「井上真央、謎めいた内面…おひさまヒロイン」はこちら。

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八木優希のおかっぱ頭…おひさま陽子の子役

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」。
昭和7年(1932年)。
須藤陽子の少女時代を演じる八木優希が主役。
その父・須藤良一を演じるのは寺脇康文。
航空機開発に携わる研究者だったが、安曇野へ移住するにあたり製糸工場の工場長(?)に職を変えた。
内部の様子が映し出された。
家内工業よりいくらか大きな規模か。

私は父を思い出した。
昭和39年(1964年)、呉羽紡績(現東洋紡績)の直江津支所(新潟県)から伊那出張所(長野県)へ移った。
いわゆる栄転。
工場で働く従業員を確保する仕事だ。
中卒が「金の卵」ともてはやされた時代である。
彼女らが製造現場を支えた。
その労働の過酷さと悲惨さを綴った「女工哀史」が残されている。
この言葉はすでになくなっていた。

昭和41年(1966年)、呉羽紡績は突如、東洋紡績に吸収されて社名が消えた。
私は伊那中学校の3年生だった。
新聞などマスコミでの発表は対等合併(うろ覚え)。
父は何も知らされていなかった。

                       ◇

「おひさま」のヒロイン・八木優希は“おかっぱ頭”がとてもよく似合う。
戦後長らく女の子の髪形の主流として続いた。
私はとても懐かしい。
八木優希はかなりの訓練を積んできたのか、役柄を難なくこなしている。
子役の実績をそれなりに持っているのかもしれない。
かわいいし、演技もうまい。

母の須藤紘子・原田知世は日常生活で和服を着ている。
当時の都会では、そうした女性が珍しくなかったのかもしれない。
安曇野の田舎ではとにかく目立つ。
昭和37年(1962年)、私が直江津小学校の5年生の授業参観、和服を着た女性が現れた。
垢抜けていて、地元の人でないことはすぐに分かった。
クラスのなかでとびきり愛くるしい女の子の母親だった。
私は、この子は普段の洋服が周りと違うと感じていた。
特別の存在で、男の子はもちろん女の子もあまり話しかけなかった。
母親は際立って美しかった。
いまでいうオーラを発するほど・・・。

おふくろが自宅で話題にした。
自分は東京育ち、深川女学院(校名は不確か)卒業という気持ちがあった。
ほめはしたが、悔しさがにじんでいると、子ども心に思った。
懐かしい記憶がよみがえった。

この子はすぐに新潟市へ引っ越していった。
6年生の修学旅行が新潟市であり、その際に宿に訪ねてきてくれた。
私たちの目の前に現れた彼女はちょっと大人びていて、どきどきした。
都会人といった趣・・・。
庶民と、住む世界が別だったのか。

                       ◇

私は直江津小学校の卒業式が行われている時間、伊那市へ引っ越した。
国鉄伊那市駅に降り立ち、真っ先に「盆地」だと思い知らされた。
ショック!
東と西を高い山脈で囲まれていて、日本海を眺めて育った私にとり閉塞感が強かった。
救いだったのは、自宅が駅のすぐ裏手、天竜川から1〜2分の場所にあり、南北は視界が開けていたことだ。

次いで感じたのは、水道水のうまさだった。
直江津のそれがまずいと思ったことはなかったが、地域で水道水が異なることに驚いた。

先日の「おひさま」に、アルプスの雪解け水が流れる音に、母・紘子と陽子が岩に耳を押し当てて聞き入るシーンがあった(不確か)。
紘子は「命ってすごい(台詞は不確か)」と・・・。

伊那市の水道水はどこから取っていたのだろう。
案外、天竜川だったりして…。

                       ◇

紘子は重い心臓病を患っており、夫の良一に3人の子ども、なかでも小さな陽子の将来を託した。
上2人は男の子。
陽子がいとおしくて仕方がないのだ。

私の前の妻も同じ思いだったろう。
告知を行わなかったが、末期がんで覚悟はしていたか。
「3人の子どもを残して、死んでも死にきれない」と、たった一度だけ「死」という言葉を使ったことがある。
泣き言をこぼさず、亡くなった。

「ひまわり」は土曜日に早くも井上真央が登場するらしい。
そうなると、八木優希と原田知世の二人は“御役御免”になるのだろうか。
もうちょっと見たい気がするが・・・。

◆書き加え1(4月6日)

小学校の友人・田中ユキとの別れのシーンはつらかった。
演じたのは、子役・荒川ちか。

当時、米をつくっている農家でも米を食べられないことは珍しくなかった。
私の祖母は、入善・椚山(富山県)の貧農だった。
大正生まれの父を女手一つで育てた。
ほかに男1人、女2人。
もう一人いて、小さい頃に亡くなったという話を聞いた気もするが…。
大正から戦中にかけて4人の子どもを養うのは、想像を絶する苦労だったろう。
しかも、祖母は子どもみたいに体が小さかった。
そのうえ、大やけどで片方の手が溶け、肉の棒と化していた。
これで過酷な農作業をこなさなければならなかった。

長男だった父は家を飛び出した。
後を継がないということは当時ありえない。
どうにもならない貧しさが耐えられなかったのでないか。
大阪へ出て、書生暮らし。
それとて“地獄”に違いない。
向学心と向上心が非常に強かったようだ。
父は自分の苦労を私にも妹にも語らなかった。

昔、極貧の家庭では子どもは小学校にろくに行けず、遠くへ働きに出された。
稼ぎを当てにするというより、口が減るだけでも助かったのでないか・・・。
「おひさま」のシーンは、それだった。
ユキは一番の親友・陽子にさえ事情を明かさずに去らなくてならない・・・。

⇒2011年4月4日「井上真央・おひさま、日本を明るく照らす」はこちら。

⇒2011年4月5日「おひさまの舞台、安曇野の自然の美しさ」はこちら。

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おひさまの舞台、安曇野の自然の美しさ

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」。
「てっぱん」が東日本大震災により1週間中断し、「おひさま」もその分だけ繰り下げてスタートした。

「おひさま」のヒロインは須藤陽子。
初回の放送では、安曇野でそば屋を営む現代の陽子・若尾文子、16歳の女学生の陽子・井上真央、10歳の少女の陽子・八木優希の3人が登場した。

現代の陽子は、東京から来た主婦の原口房子・斉藤由貴に自分史を語りはじめる。
昭和7年、10歳・・・。
陽子は心臓病の母の紘子・原田知世と最後のときを過ごすため、家族で東京から安曇野に移ってきた。
陽子はむろん、母の命が残りわずかと知らされていない。

「おひさま」は原口房子の問いに、現代の陽子が答える形で進行する。
必然的に、若尾文子はナレーター(ナレーション)を兼ねる。
現代のおもな登場人物はおそらく若尾文子と斉藤由貴が演じる二人だけだろう。

私は長野県伊那市で中学生時代の大半を過ごした。
「安曇野(あずみの)」という地名を知った。
また、これまでに幾度も耳にした。
美しい言葉であり、イメージが膨らむ。
伊那市から見て松本市のほうと思っていたが、実際にどこにあるか分からなかった。

「おひさま」の初回放送では、安曇野の自然がテレビ画面からあふれ出た。
草原というか花野というか、私はその美しさに感動した。
地味な白い花をつけた野草が一面に広がっている。
が、妻から「そば畑」と教えられた。
恥ずかしい・・・。
私は仕事に追われながらの視聴であり、ろくに見ていない、聞いていない。

いまグーグルマップで場所を確認した。
松本市から新潟県糸魚川市方面に少し北上した辺りだった。
JR大糸線沿いのかなり広範囲にわたるのでなかろうか。

◆書き加え1(5月12日)

安曇野は、かなで表記すると「あずみの」でなく「あづみの」だった。

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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