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土曜日のブログ「都心のハイグレードオフィス」の続き―。
私は厳しい現実を知った。
渋谷マークシティから、かつて自宅と会社があった松涛1丁目へ抜ける際に、円山町というラブホテル街を通った。
ここに、私が入り浸った3軒の飲み屋がある。
2軒は数年で消えたが、1軒はずっと頑張っていた。
1998年に港北ニュータウンに越してきてから、足を運ぶことはなくなったが…。
当時、私は毎日のように通った。
時刻は仕事に区切りがつく午前1時か2時。
暗い店内、低いカウンター。わずか10席で、気持ちがとても落ち着いた。
客は近隣の住民と勤め人に限られ、相互の会話がないのが何より。
煩わしくない。
長くても2時間と決め、日本酒をロックで浴びるほど飲んだ。
うまかったなぁ。
疲れが癒やされ、深い眠りに就くことができた。
確かこの店は88年前後にオープンし、私は90年頃に知った。
客が入りきれないほどの絶頂期が93年頃まで続いた…。
あれっ。
看板の文字がはがれかけていて、しかも店のガラスがかなり汚れている。
薄暗い中を覗き込むと内装が壊され、工事が始まった直後のようである。
わりと最近まで営業を続けていたのだろう。
これで最後の1軒が消えたことになる。
閉店前に顔を出せず、ママに大変申し訳なく思う。
思い出の場所がまた一つ失われた。
さみしい。
Copyright ©2008 by Sou Wada
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私は厳しい現実を知った。
渋谷マークシティから、かつて自宅と会社があった松涛1丁目へ抜ける際に、円山町というラブホテル街を通った。
ここに、私が入り浸った3軒の飲み屋がある。
2軒は数年で消えたが、1軒はずっと頑張っていた。
1998年に港北ニュータウンに越してきてから、足を運ぶことはなくなったが…。
当時、私は毎日のように通った。
時刻は仕事に区切りがつく午前1時か2時。
暗い店内、低いカウンター。わずか10席で、気持ちがとても落ち着いた。
客は近隣の住民と勤め人に限られ、相互の会話がないのが何より。
煩わしくない。
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うまかったなぁ。
疲れが癒やされ、深い眠りに就くことができた。
確かこの店は88年前後にオープンし、私は90年頃に知った。
客が入りきれないほどの絶頂期が93年頃まで続いた…。
あれっ。
看板の文字がはがれかけていて、しかも店のガラスがかなり汚れている。
薄暗い中を覗き込むと内装が壊され、工事が始まった直後のようである。
わりと最近まで営業を続けていたのだろう。
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