明日へのヒント 大山康晴緒形拳(おがた・けん)。
名優だった。
圧倒的な存在感。
私はしびれた。

一番のお気に入りは、KIRIN「一番搾り」のCM。
初代キャラクターとして5年程出演した。
日本のうまいもののプレゼントキャンペーンと連動したCMだったか、うちわで七輪をパタパタあおぐシーンが印象に残っている。
旬の魚介か、焼きあがりが待ち切れないといった風情。
わが人生0656子どもみたいなおじさん…。
緒形拳といえば、深刻で衝撃的なテーマがほとんど。
私は、飾らない素顔に触れて新鮮さを覚えた。
しかも、そこに枯れた味わいを感じた。
しかし、これとて“演技”だったのでないか。

私が緒形拳を最初に知ったのは、NHK大河ドラマ。
1965年に『太閤記』の主役を演じ、いきなりお茶の間の心をつかんだ。
そして、1966年に『源義経』の弁慶役を演じた。
“立ち往生”のシーンは、鬼気迫るものだった。
わが人生0657実は、NHK大河ドラマを楽しみにしていた父がテレビから目をそむけた。
ずっと無言…。
その様子にただならぬものを感じ、子どもの私は驚いた。
だいぶ後に思ったのだが、父は戦時の記憶が蘇ったのでないか…。
この件は、いまだによく覚えている。

緒形拳はまずテレビドラマに出演し、中年以降に映画に出演するようになった。
時代劇やシリアスな文芸作品が中心だが、私は後者が印象に残っている。
迫真の、ときに狂気ともいえる演技。
わが人生06581978年に野村芳太郎監督の『鬼畜』で、1979年に今村昌平監督の『復讐するは我にあり』で、1983年に同監督の『楢山節考』で主役を演じた。
いずれも高い評価を得た。
とくに『復讐するは我にあり』は、緒形拳の代表作とする人が多い。
私は『楢山節考』。
確か、あまり人気はなかった。

                       ◇

以下は、ウィキペディアの記載を踏まえて書き加えた。
緒形拳は、自身の特徴は「手」との認識から発想された芸名であり、「おがた・こぶし」と読むのが正しい。
わが人生0659私が「拳(こぶし)から連想するのは、意志、力、怒りだ。
なるほど、緒形拳にふさわしい。
また、1937年、東京・牛込生まれ。
いかつい容姿、そして役柄のせいか、洗練されたイメージがなく、私は地方出身者と思い込んでいた。
都会人と思えない、生真面目な堅物。

高校卒業後、憧れの新国劇の辰巳柳太郎に弟子入りし、付き人になる。
だが、下積みの彼を抜擢したのは新国劇のもう一人の雄、島田正吾だった。
わが人生0660緒形拳は新国劇を離れた後も「自分は舞台役者」と語っており、二人の師匠への思いは終生変わらなかった。

出演作品は、映画、テレビドラマ、舞台、CM、ドキュメンタリーなど、膨大な本数に及ぶ。

長らく肝臓を患っていたが、2008年に亡くなる間際まで役者魂を貫いた。
最期を看取ったのは家族、友人の津川雅彦。
わが人生0661緒形拳は、私がもっとも愛した俳優の一人である。
ご冥福をお祈りする。

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