仕事でバタバタの状態…。
ブログの更新が危うい。

私は18歳で上京し、30代半ば過ぎまで中央線沿線で暮らした。
中野駅、東小金井駅、西荻窪駅、三鷹駅。
出会いを得、伴侶を得た。
人生を決定づけた路線だ。

その中央線といえば、全体が鮮やかなオレンジ一色に塗装された車両が走行。
ところが、4年前から重量が軽く省エネにつながるステンレス製車体(ボディ)にオレンジのライン(帯)が入った新型車両「E233系」に切り替えが始まった。

ついに「201系」は残り1編成。
その車両がきょうで引退することになり、記念の特別運行が行われた。
ラストラン。
乗車した4百人は、5千人の応募者からの抽選。
電車をかたどった箱に入った幕の内弁当が振る舞われたほか、ちょっとした記念品(方向幕)が贈られた。

出発駅は豊田駅。
終着駅は松本駅(長野県)。
見納めとあり、鉄道ファンが大勢詰めかけた。
沿線でもカメラを構える姿が見られた。
中高年のなかには涙を流している人が・・・。
なぜ長野県なのかと思ったら、車両基地で廃車(解体)になる。

戦後急速に形成され膨張した山の手の中流(中産)階級。
彼らは高度成長のけん引役だった。
その勤労者を都心に毎日運んだ。
中央線は乗車率が殺人的だった。
ピーク期のラッシュ時は3百パーセント(不確か)。
横方向の圧力で体が浮きあがり、またしょっちゅうドアガラスが割れた。
いつしか沿線の住民の平均年齢が高くなり、疲弊が深まるにつれて「人身事故」が多くなった。

住んでみたい鉄道沿線の人気ランキングで、中央線は長らく1位の座にあった。
やがて小田急線に取って代わられた。
そして東急田園都市線(不確か)。
中央線一帯は成熟し、いまや「下町」の風情が色濃い。
暮らしやすさは損なわれていないはずだ。

私にとり「国電」とは、東京を東西に走るオレンジ(橙色)の中央線とイエロー(黄色)の総武線。
思い出がいっぱい詰まっている。
愛と希望を運んでくれた。

⇒2010年8月13日「財津和夫『青春の影』歌詞の意味…昭和の名曲」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

中央線と総武線がなければ、私のいまはない。

中央線のオレンジ車両は53年の歴史に幕を閉じた。
半世紀余、お疲れさま。
なお、201系車両は中央線で30年近く活躍した模様。
これにより京葉線などで4編成、大阪環状線などで約30編成を残すのみ。

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